◆◆ 92歳の私の親父の記録小説 ◆◆

【今日に賭ける ・・・或る”二コ四ン”の記録】ついに発表!! H17.9.24

戦後の混乱期を”レッド・パージ”で職を終われ、”二コ四ン”、”よなやげ屋”、”ドブさらい”、”くず鉄拾い”等などで何とか家族を養い、明るく生き抜きどん底生活から脱出するまでを記録した作品です.
自費出版した本からスキャナーを使って原稿を起こし、やっと発表にこぎつけました。
私の幼少時代の生活を思い起こさせる作品です、ごゆっくりお読みください。


【鉄の城と紙の砦】へようこそ H17.7.1

私の親父は、大正4年1月の生まれなので、今年は満で90歳になった。
しかしこの年齢で現在もPSUのRPG・「ドラゴンクエスト」なるものを夢中になってやっている程で、健康そのものである。

私がいま住んでいる横浜・戸塚から遠くて近い千葉・白浜の海辺に、今年86歳になるこれもまた健康なお袋と夫婦二人で住んでいる。
両親ともに健康なので私としては隔週の頻度で白浜へ昼寝をする目的で訪問し、“遠隔扶養”と称している、ありがたい話である。
なにしろアクアラインが開通し、車で戸塚から2時間半でいける白浜はもう私にとっては隣町である。

その親父が60歳になってから書き始めた自己史が、400字詰め原稿用紙にして4千5百枚ほどになった。
この自己史は時代の流れに沿った、17の独立した題名を持つ記録として書かれている。
その原稿用紙を親父は自分の手でワープロに入れ、それをミニ本50冊にまとめた。
そして時代がワープロからパソコンに変化すると、今度は媒体をパソコンに変換して格納し、出版の機会を狙っている。
なんとも元気はつらつなジイさまである!!

そんな親父が折に触れ自分の人生について、私に語った言葉を総合すると次のようになる。


俺は若いころから小説家として世に出たいと思って、ずいぶん文学修行をやってきたつもりだ。
しかし残念ながら、戦争だ、食うための仕事だ、子育てだ、やれなんだかんだとで書くのがつい遅くなってしまった。
それに書いたものもどうやら自分の歩んできた人生経験の記録に止まり、小説として昇華させることができなかったようだ。

しかしその一つ一つまとめたものは“小説的なもの”になっているのではなないかと思っている、だからこそなんとかしてこれを“世に問う”ことができないかなあ〜と思っている。
そうは言ってもこの貧乏暮らしだ、まとまった本にすることができない、それが残念でならない。



そんな親父の思いを何とかできないかと考え、私がその思いを継ぐことにしたが、自費出版できるほど金持ちではない。
ではどうしたらよいか思案した結果、それにはインターネットで“世に問う”のが一番良いのではないかと考えた次第。

私はそんな親父の小説を“記録小説”(ジャンル:“記録文学”)と勝手に命名してみた。
そしてその親父の記録小説の中で一番長く、かつ一番主張したい部分を描いた『鉄の城と紙の砦』を皆様へお届けする次第です。

『鉄の城と紙の砦』は波乱に富んだ親父の生涯の中でも、最も充実した時期のものであり、親父の書いてきた記録小説の中では最も代表的な部分だと思っている。
そして余りにも長いのを承知で選んでみた。

親父に頼んでこの『鉄の城と紙の砦』の概略を下記のようにまとめてもらった。



私はこの時代、鉄鋼業界の新聞記者をしていました。
ご承知のように鉄鋼業というのは一国の基幹産業なのですが、いつも時代の陰に隠れた存在で、余りその内容は世に知られておりません。

しかし私のこの記録は、その鉄鋼業が最も激しい成長をとげた二十世紀という世紀に、鉄鋼業の内部からその成長ぶりをつぶさに眺めることのできた人間が書いたものなので、ひとつの時代の記録としても貴重なものではないかと思っています。

また更に、この記録は当時の鉄鋼業界に、紙とペンと僅かな計算機器―つまり“そろばん”と“計算尺”―だけで、日本鉄鋼業界のみならず世界鉄鋼業界にまで挑戦を試みた一人の男の生涯の記録でもあります。
ですからこれは一人の人間の生き方というものについての記録でもあると言えるのではないかと思います。



という次第で思わず紹介文が長くなってしまいましたが、この他にもこれから次々と親父のまとめた人生の記録小説をここでご紹介しますので、どうか親父の一生の仕事をご理解いただき、ご評価の程よろしくお願いいたします。